気取った道化に価値は無い


 ふたりは何やら真剣な表情で会話を交わしていたが、ちらりと視線が動いた王泥喜が、成歩堂が出てきたと響也に告げたようだった。
 こくりと頷いてから、視線が成歩堂に向けられる。片腕に上着を掛けているのは、健康診断の為に脱いだのだろう。普段ジャラジャラとつけている装飾品が殆ど外されているのは、彼が歩き出しても音が鳴らない。そう言えば、胸元のペンダントもなかった。
 王泥喜は、成歩堂に一礼しただけでそそくさと何処かへ行ってしまう。成歩堂に対して怒っているようではないのに、何故彼は逃げていってしまったのだろうか?
 首を傾げていると、近付いてきた響也が自分の名を呼ぶ。

「成歩堂さん。」

 声のトーンが少しばかり呆れた様子だった。
「迷惑かけちゃた?」
 帽子の頭に掌を乗せて、目を隠す。親友にもあれほど怒られたのだ、響也の怒りもどれほどに買っているのだろう。
 誤魔化す自信はたっぷりとあったけれど、最初から余裕を振りまいて怒りを増長させたいとは思わなかった。好きな相手に邪険にされれば、成歩堂だとて落ち込みはする。
 しかし、クスリと笑う声に、おやと思う。彼が怒っていないらしい事が不可思議だ。自分勝手な行動をして、捜査を混乱させた。公務執行妨害…なんて罪状もあったはずだ。
「そうだね。」
 うんと声を出して、響也は言葉を続けた。
「でも、ちょっと驚いたな。」
「僕のかっこよさにかな?」
 冗談のつもりで告げた言葉に、響也はあっさりと賛同した。
「うん。僕の為に、あそこまで必死になってくれるとは思わなかったよ。」
 …思いもつかない、あからさまな賛辞に成歩堂は固まった。
「かっこ良かったな。」
 歌うような声にも絶句する。
「ねぇ、成歩堂さん。そんなに僕の事好き?」
 警察署の廊下で聞くとは思わなかった台詞には、異議ありすら唱えられない。例え唱えたところで、響也はあっさりと却下するに違いなかった。
 
 好きだよ。と告げて抱き締めるには、成歩堂の分が悪い。

 親友が言っていたではないか(飄々として掴み所がないと愚痴っていたと)。つまり、成歩堂は尻尾を捕まれてしまったのだ。
 確かに、響也の事が好きなのだと。
 そんな少年のような気持ちがあっさりと響也の前に晒されてしまったのだと悟った。
「狡い言い方をするね。」
 フッと息を吐けば、響也が笑うのが見えた。そのまま成歩堂の首に両腕を巻き付ける。
「気取った言葉はいらない、真実が知りたいからさ。」
「響也くん、ちょっと大胆じゃないかい?」
 響也は抱きついたまま、クスクスと笑う。耳元を擽る甘い声に成歩堂は、妙に体温が上がるのを感じた。彼は余裕たっぷりで、翻弄されているのは自分の方だ。
「貴方を拉致したのは、彼女の息子だそうだよ。
山のような借金があって、母親の遺産がどうしても欲しかったんだってさ。」
「よくある話だね。」
「でも、悲しい話さ。」
 響也はふいに声を潜める。
「だから、寂しかったんだ。」
 キュッと腕の力を強めて、抱きつく腕を嗜めることが出来ずに、成歩堂は響也に耳打ちをする。
(ふたりきりになれる所はないのか)と問う成歩堂に響也が示したのは、先程出てきた取調室。なんとなく、いい気分にはなれなかったが贅沢を言う訳にはいかない。
 転がる様に、部屋へ入ると響也が後ろ手で扉に鍵を掛ける。それを確認して、成歩堂はしっとりと唇を重ねた。
 なんだ、かんだで甘いムードになってしまうのは、ふたりともそういう気分だからだ。互いに、互いの舌先と唇を求め合って、皮膚は擦れ、鼻先が頬を掠める。
 まるで焦れた若造のような口付けだ。
余裕もへったくれもない、ままの、求め合う為のキス。それでも主導権を握りたいという本能的な身体は、互いの後頭部を逃げられないように抑え込む。
 性欲を煽りたいだけ、煽ってふたりは相手を解放した。
 だらしなく開いた唇からこぼれ落ちそうな雫を掌で拭う成歩堂をみやり、響也が妖艶に微笑む。
 潤んだ碧眼を細め、口角を上げる響也に成歩堂の背中にぞくりと走るものがある。
快楽に溺れた的なものではなく、成歩堂の琴線に触れる。

 …そうだ、牙琉の逆鱗に触れた時の表情…!?

 流石兄弟!と感動する間もなく、響也の腕が成歩堂を抱き込むようにして壁におしつける。
 ねぇ…と艶やかな唇が開いた。
 
 「あんなこと、こんなことはどういうつもりだったの?」

 柳眉が持ち上がれば、怒りの表情に迫力が増す。親友もそうだが、美人の怒りは倍怖い。
 成る程、王泥喜くんがさっさと逃げだしたはずだ。
「流石、王泥喜くんも弁護士。一言一句正確に伝えたなんて侮れないね。」
 成歩堂は、笑って交わそうと試みたが、鋭い碧眼が許さない。「そんな事いってる訳じゃないだろ?」と刺されて、沈黙せざるを得ない。
「なんでわざわざ、破廉恥な作り話をおデコくんにしたんだい。」
「…。」
「オデコくんを巻き込む為だからと言っても、やり方が悪いよね?僕は、AVに主演した覚えなんかないんだけど?」
 辛辣な言葉と辛辣な表情。本気で怒っているのはわかるんだ。でも、冗談でなく、本気でそんな心配をしていたと言っても、絶対に激怒するだろ?と成歩堂は思う。

響也くんは性的だし、可愛いし…ノン気の男だってついフラフラしちゃうよ。

 目の前で般若になりつつある響也には告げればどうなるかわからない程、浅いつきあいなどしていない。

「そんなに想像力が豊かだったら、売れないピアニストじゃなくて、官能小説家にでもなればよかったのにね。」
 怒りの混じったその台詞には、しかし、なるほどと頷いた。ひょっとしてそれ、結構言い考えかもしれない。
 印税稼げたら、みぬきの給食費も楽に稼げるかも…。
「あんた、本気で算段してる訳じゃないよね?」
 無精髭に指先を当てて、思案しだした成歩堂に響也の頬がひくりと動く。
 これは、まずい。敢えて平静を装い反論する。
「そんな事ないよ、響也くん。」
「ふうん。」
 如何にも胡散臭いと、端正な顔が応えた。
「じゃあ、暫くは右脳の中の僕とセックスでもしたらいいよ。」
 ふんと鼻を鳴らして、響也は成歩堂を開放する。飄々と交わせなかったのは、本気で響也が好きだとバレたせいだ。
 損したような、得をしたような複雑な気持ちで、成歩堂を背を壁に這わせながら座り込む。
 それを見遣ると、響也はにこりと嗤った。

「大好きだよ、龍一さん。」

 ヒラと手を振る響也が、いまだけは一枚上手だった。


〜Fin



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